2019.03.31
移住創業者ストーリー
「心の底からやりたい事業だから、圧倒的に楽しい」
東京のIT企業を売却し、サイクリングの聖地へ

Profile
村上 あらし
(株式会社わっか)
1976年生まれ。慶応義塾大学在学中にアフリカ各国を放浪し、英語とフランス語を習得。2000年、仲間とショッピングモール開発の会社を設立。2004年、イギリスに留学しMBA(経営学修士)を履修。帰国後、民間企業勤務を経て、2007年にネット決済システム会社を立ち上げる。2017年に全株式を売却し、翌年わっかを設立、大三島(今治市)に移住。妻と2歳、0歳の娘と4人暮らし。

世界有数のサイクリングロード「瀬戸内しまなみ海道」(以下、しまなみ海道)にサイクリスト向けの総合施設「WAKKA」をオープンし、国内外から観光客を呼び込むーー。ビジネスプランコンテスト「EGFアワード2018-2019」で最優秀賞に輝いた株式会社わっか(今治市)の代表・村上あらしさんは、そんな思いで東京で経営していたIT企業を売却し、愛媛での起業を決意しました。なぜ、愛媛だったのか。経営者としての信念や、愛媛で起業することの魅力を尋ねました。

サイクリングと祖父。愛媛にあった不思議な縁

まずは、サイクリスト向け総合施設「WAKKA」の概要を教えてください。

尾道市(広島県)と今治市を結ぶ全長約60Kmのしまなみ海道。そのほぼ中間地点に位置する大三島を舞台に、宿泊やカフェ、旅行代理業、シャワー、コインランドリー、休憩、セルフ修理ガレージなどの多彩なサービスを提供する施設です。オープンは来春の予定で、現在は先行してサイクリストと自転車を輸送する陸上・海上のサイクルタクシー(リタイヤサポート)、旅行代理店、レンタサイクル返却代行、手荷物/自転車当日配送、出張修理、随伴サポートカーのサービスを始めています。

そもそも、なぜ東京で経営していた会社を売却し、移住してまで愛媛で起業したんですか。

大好きなサイクリングと、祖父の存在。この2つが、私が愛媛に引き寄せられた大きな理由です。

まずは、サイクリングです。東京で会社を経営していたとき、友人の影響で始めてみたら見事にハマってしまったんです。それ以来、通勤はもっぱら自転車で。自宅と職場の13Kmほどを毎朝毎晩、走ってました。仕事でストレスがたまっても、1日の最後に汗を流して、家に帰ってビールを飲む。これがほんとにおいしくて、疲れが吹き飛ぶんです(笑)。休日も遠方に出かけて、100〜200Kmの長距離をよく走ってました。

しまなみ海道も何度も走りました。自転車ツーリズムで言えば、ここは日本では断トツに有名な場所です。美しい景観を横目に、小さな島々を専用道路で走るコースは世界的にも珍しいです。ここを目当てに、世界各国からサイクリストが訪れています。

世界的にも有名なコースなんですね。

ただ残念ながら、特に大三島などの中間地点では、宿泊や飲食、休憩場所などのインフラが足りていない。私自身、サイクリストとしてそう不便に感じる点が少なくありませんでした。外国人のサイクリスト仲間からも、「いい場所なのに、なぜ観光地として大きく発展してないんだ?」と言われたことがあります。ただ、そのギャップこそがビジネスチャンスだと思いました。

それと、祖父の存在です。実は、祖父はしまなみ海道沿いにある大島で生まれ育ったんです。不思議な縁です。もう1つ、かつて瀬戸内海の島々には、海上警護などをしながら海の安全を守っていた「村上海賊」と呼ばれる集団がおり、このあたりの「村上」姓はその末裔といわれています。そういうこともあり、どんどん郷土心が湧いてきて、ここで起業したい。サイクリスト向けの施設をつくって、国内外から観光客を呼び込みたい。そういう思いが湧き起こってきました。

とはいえ、東京から愛媛の小さな島に移住して起業するのは、相当な覚悟が必要だったんではないでしょうか。不安や迷いはなかったんでしょうか。

不安はありませんでした。むしろ、意欲やワクワクする気持ちが断然大きかったです。

東京でネット決済システムの会社を立ち上げたのは、あくまでそれがビジネスとして勝算があったからです。ネットやITそのものに強い関心や興味があったわけではありません。もちろん会社としては素晴らしい社員に囲まれ、幸せでした。

でも、今ここで始めていることは、心の底から本当にやりたかった事業なんです。今は起きてから寝るまで暇が1秒もないくらい忙しい日々ですが、圧倒的に楽しいです。

EGFで知名度アップ。行政の手厚いサポートも

起業の準備は順調だったんですか。土地勘がない中で、苦労したこともあったのではないでしょうか。

最も苦労したことの1つは、施設の建設場所、つまり土地探しですね。ここには東京なら駅前にあるような不動産屋もないですし、情報収集の手段が限られていて。登記簿謄本をとって、所有者に手紙を送るくらいしか方法がありませんでした。あとは、地元の人への聞き込みです。

会社を設立する2年前から、東京から何度も通って探し続けました。何度も手紙を送ったり、ひたすら聞き込みしたりして、最終的にはいい土地を見つけて購入することができました。

会社を設立した後、「EGFアワード」では最優秀賞を受賞されましたね。

受賞した反響は非常に大きかったです。県外内の人たちに会社や施設のことを広く知っていただけるようになりました。テレビや新聞などから取材依頼が来たり、行政が主催するイベントに呼んでいただいたり。とにかく露出が増えて知名度がぐんと上がりました。これには本当に感謝しています。

それによって、県をはじめ行政からいろんなサポートや相談を受けられるようになり、事業がスムーズに進むようになりました。

行政(愛媛県)からは具体的にどんなサポートがあるんでしょうか。

山ほどあって言い切れないんですが(笑)。例えば、ボート(船)による海上タクシーを始めるときのことです。ボートの係留場所や寄港地の許可を得るにはどうしたらいいか。今まで船を所有したことがなかったので、右も左もわからないわけです。そんなときに、愛媛県の担当部署が申請作業や手続きについて細かく教えてくれました。地元の方々の協力もとても大きく寄与しました。

それと、助成金です。国や県、市町村と、助成金制度は種類がたくさんありますよね。どれをどう活用するのが一番いいのか。県に相談すると、「この助成金が合うんじゃないですか」などといろんな情報を丁寧にに教えてくださります。申請作業にも協力してくれます。実際、県やEGFで知り合った銀行さんのアドバイスをきっかけに国の助成金を獲得しました。もちろん公的機関は皆に平等にサービスを提供しているので、そういう意味での優位性は無いと思いますが、やはりどういう会社か多くの方が知っている状態で申請をすると、何かとスムーズです。

それ以外にも日々、私たちに協力してくれそうな会社や人を紹介してくれたり、些細なことでも相談に乗ってくれています。私たちにとって愛媛県は、困ったときにいろいろ教えてくれる非常に力強い存在です。

「EGFプログラム」はそうした手厚い起業サポートが特徴なわけですね。

愛媛県などの行政に限らず、「EGFアワード」に出てからは地元の民間企業からも協力を得られやすくなりましたね。「この前、新聞記事見たよ」と言ってくださって、取引がスムーズに進んだりすることは珍しくありません。銀行から融資を受けたい場合でも、EGFを通じて会社や経営者の存在が知られるようになれば、有利になる面があると思います。とにかく、私たちにとってEGFは、事業を順調に進めていくうえで相当に大きい好影響があります。

自然、食、フレンドリーな住民。東京よりも快適

起業に伴って生活環境も大きく変わったわけですが、都会と地方でギャップを感じることはありませんか。

移住する前からサイクリングで何回も来ていたので、生活環境が変わることへの不安は特にありませんでした。実際に暮らしてみても、不便に感じることは意外にほとんどありません。

車で少し移動すれば、今治市や松山市、それに広島市や福山市(広島県)など、買い物に困らない場所があります。大三島にもコンビニはありますしね。

むしろ、東京よりも断然過ごしやすいです。島は自然に囲まれていて、見ているだけで癒されます。海が好きなので、毎日眺められて最高です。住民の性格も朗らかで、魚も新鮮でおいしい。住み心地は抜群にいいです。

唯一、少し不便に思うことは、車社会なので気軽にお酒を飲みに行けないことです。東京にいた頃よりも、飲み会の回数は1/10ほどに減りました。でも今考えると、東京では必要のない接待が多かったのかもしれないですね。むしろ出費が減り、仕事や家族と過ごす時間を大事にできていると思います。

起業と移住に対して、ご家族の反応はどうだったんですか。

妻は文句1つ言わずに付いてきてくれました。どう思っていたかは別として(笑)。わがままに付き合ってくれて、本当に感謝しています。こちらも相応の覚悟で、家族を幸せにしなくてはと強く感じました。起業と移住の準備を始めた頃は、今2歳の長女がもうすぐ生まれるタイミングでした。これから子育てが始まろうという状況ですから、今振り返るとよく理解してくれたなと思います。でも、結果的には子育ての面でも移住してよかったです。東京では実際に待機児童問題で1年半ほど浪人をしていましたが、ここではすんなり保育園に入れました。保育園もめちゃくちゃ広く、東京の時よりも明るくてすごくホッとしました。

妻はわっかの無くてはならない最高戦力の社員としても働いてくれてますし、ほんとに助かってます。とにかく、家族には感謝しかないです。

地元のコミュニティにもすんなり溶け込めたんでしょうか。

はい。地元の方のお陰で、最初は地元の習慣などわからないこともあったんですが、いつも住民のみなさんが親切に教えてくれます。

近所の人が野菜を大量にくれたり、「WAKKA」の敷地で草刈り作業をしていると、頼んだわけじゃないのにおじいちゃんたちが手伝ってくれたり。昨年は、島の祭りで獅子舞を踊らせてもらいました。ここはフレンドリーな人が多く、助かってます。東京には戻りたくない、と感じるのはこういう点もすごく大きいです。

サイクルタクシーは外国人が多く利用。観光客3倍へ

今、サービス提供しているサイクルタクシーの利用状況や反響はどうですか。

順調ですね。利用者は外国人比率がかなり高いです。特にヨーロッパが多くて、フランスやオランダ、ドイツ、イギリス。それ以外では、オーストラリア、南アフリカやカナダが目立ちます。アジアでは香港や台湾あたりですが非常に少ないです。ケガによるリタイヤのほか、「体力がもたない」「帰りの電車に間に合わない」「大雨が降ってきた」「色んな島をサイクリングしたい」といった理由で利用するケースが目立ちます。

外国人の利用が多いんですね。英語対応もしているわけですか。

しまなみ海道には、世界各国からサイクリストがやってきます。もともと、外国人の利用が多いことは想定していましたので、イメージ通りです。もちろん、英語で対応してます。道の駅などに置いているリーフレットにも、英語を併記するなどしています。アフリカ放浪やイギリスでの留学経験から、いつか外国人を相手にビジネスをしたい思いがあったので、それも叶ってうれしいです。

スタッフは現在、私と妻のほかに5人います。昔からの知り合いで奄美大島(鹿児島県)にいたフランス人カップルに声をかけたり、大阪にいた知人を誘ったり、あとは地元でも公募しました。みんなこの事業を「おもしろそうだ」と言って仲間に加わってくれたんです。非常に心強いですね。

今後ですが、事業についてはどんな将来像を描いているのでしょう。

施設は2020年1月に完成させ、3月をめどにオープンする予定で準備を進めています。宿泊やカフェなど、各種サービスを同時に開始する計画です。

更地に新築で施設を立てて、カフェや宿泊をやる。今までいたネットやITの世界とは、投資効率やスピード感がまったく違います。投資額も大きく、回収するためにも時間がかかる。でも、今のほうが圧倒的に楽しいです。今は少しずつ階段を上っている最中ですが、パズルのピースが1つずつしっかりはまっていく手応えがあります。

将来的には、しまなみ海道の観光客を3倍にするのが目標です。そのためには、施設運営だけでなく旅行代理業が重要になります。いろんなアクティビティを組み合わせてツアーを組み、東京をはじめとする国内、そして海外から観光客を誘致する。海道沿いに「WAKKA」と同じような施設やサービスが生まれ、その分また観光客が増える。そういうサイクルができれば、3倍という数字も見えてくるはずです。行政をはじめとする地域や社員らと一緒に、これからますます突っ走っていきます。

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