瀬戸内海のほぼ中央、愛媛県と広島県の境に25の離島で構成された愛媛県越智郡上島町があります。ここは今密かに移住先として注目されている町なのです。
注目される理由とは?気になるその全貌を徹底取材!全10回に渡ってご紹介する上島町特集!今回は岩城島と弓削島にUターンして漁業に取り組む二人をご紹介します!
都会で働く地方出身者は葛藤している
『Uターン』。
都会で働く地方出身者なら、一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
夢があって都会へ来た人。
進学した流れで就職、そのまま何となく過ごしている人。
様々な理由で、地元を離れて生活している人たちがいます。
「帰るべきか、残るべきか」
住まいや仕事を変えることは、人生を左右する難しい問題です。出る時も悩みますが、戻るときも別の悩みが出てきます。
移住について調べてみると、Iターン、Uターンに加え、Oターンという聞きなれないものまであるようです。そして、詳しく調べるほど、不安要素も増えてゆき、解決の糸口を掴めないまま悩み続けている方も多いことでしょう。
それでもやっぱり地元のことが気になる。
両親のそばで暮らしたい。
そんな思いがある方は、Uターンした方たちの暮らしを覗いてみませんか。
これからご紹介するのは、一度は都会へ出て、家業を継ぐために離島へ戻った方たちです。
東京のシステムエンジニアからUターン後は漁業後継者に
東京からUターンして、鯛の養殖業を営む、浦安元太(うらやすがんた)さん。
浦安さんは、岩城島で生まれ育ちましたが、大学進学で上京。その後、都内でシステムエンジニアとして働いていました。
しかし、浦安家の家業である養殖業を営んでいた父親が亡くなったことを機に、岩城島へUターン。三代目として事業を継ぐことを決意しました。
愛媛特産の真鯛養殖に貢献した祖父
「お爺さんは県内で最初に自然産卵の真鯛養殖に成功したのです」
浦安さんは祖父のことを誇らしげに語ります。
愛媛県は養殖真鯛の生産量日本一。
その中でも上島町は、水質や潮流の速さなど好条件に恵まれた漁場。しかし、天然の真鯛は捕れる量が少なく、季節によっても味や数に差があります。
そこで、年中美味しい鯛を多くの人に食べてもらえるようにと、祖父・春夫さんが真鯛の養殖業を始めたのだそう。
当時の真鯛養殖は、卵を無理やり出して稚魚にする方法が主流でしたが、春夫さんは自然産卵での養殖に成功。養殖の鯛は、天然のものと比べると味わいが劣ると言われていたのですが、懸命に開発を進めた結果、天然にも負けない身が締まった真鯛を生産できるようになったのです。
祖父が築いた事業存続のため三代目が始めた新たなチャレンジ
現在、真鯛養殖業は、飼料の高騰や魚価の低迷で厳しい状況。養殖だけでは事業存続が厳しいため、浦安さんは新しい取り組みを始めました。
それは、加工品の商品開発、製造、販売までを行う六時産業化です。
鯛一匹をそのままの姿で蒸し焼きにする『蒸し焼き鯛』や、鯛の旨みが凝縮された『鯛みそ』など、開発した商品を道の駅やインターネット、イベント等で販売しています。
写真の鯛みそは、旨味がぎゅっと詰まっていると大評判!若いセンスを生かした、愛らしいパッケージも人気です。
先代のベンチャー精神が孫代にも受け継がれているのですね。
豊かな自然の魅力を伝えたい!サイクルツーリズムに着手
浦安さんは、地元に帰ってきてから、島を外側からも見るようになったと言います。
特に、以前は気に留めていなかった自然の美しさは、この町の大きな魅力だと考えるようになりました。
新たな視野を獲得したことで、家業のかたわら、島に貢献できることを日々考えています。
その第一歩として始めたのが、サイクリング。今では上島町のサイクリングチームに所属し、大会にも出場するほど。さらに、サイクリングの公式ガイドの免許も取得しました。
上島町のサイクルツーリズムに力を入れ、島の魅力を多くの人に伝えたいと考えているそうです。
島の産業担い手として新たなチャレンジを続けている浦安さん。都会で働いていた頃とは別の職種となりましたが、仕事へのやり甲斐をしっかりと感じながら、誇りをもって取り組んでいます。
大阪へ進学。弓削島にUターン後は海苔の養殖業を営む
海苔の乾燥機の前に立つこちらの方は北舛健幸さん。
北舛さんの地元は弓削島ですが、高校から地元を出て、その後大阪のデザイン専門学校でグラフィックを学びました。デザインを専攻していたとあって、作業着姿もおしゃれ。
北舛さんは2003年にUターンし、家業の海苔の養殖・製造業を継ぎました。
日本の食卓には欠かすことのできない海苔ですが、皆さんは海苔がどのように作られているかご存知でしょうか?なかなか見ることができない海苔作りの現場、面白そうなので覗いてみましょう!
弓削島は愛媛最大の海苔産地!
弓削島は愛媛県最大の海苔の産地。
弓削島周辺の海は、海苔の養殖に必要な栄養塩類が豊富に含まれています。また、沖合に養殖場があり、沿岸養殖に比べ潮の満ち引きの影響を受けにくく、速い潮流の中で育つため、硬く歯応えのある海苔に育つのです。
海苔の養殖って、どのように行うか想像できますか?
実は、海苔にはタネがあるんですよ!
奥が深い海苔作り!タネづけから収穫、加工まで
海苔のタネ。それは『果胞子』と呼ばれるもの。知らない方も多いと思われますが、実は海苔は『胞子』によって繁殖する植物です。
このタネを最初は牡蠣の殻に植え付けます。牡蠣の殻の中で成長させた海苔の胞子を、海苔網へ移らせ繁殖させる、という工程を経て、ようやく収穫できるようになります。
海苔の味を決めるのは、ほとんどが海の環境です。
海の状態はその年によって変わりますが、食べる年によって海苔の味の違いを感じることはあまりないですよね。養殖業を営む方たちは、毎年おいしい海苔を収穫するために奮闘されているのです。
摘採された海苔は、工場に運ばれ洗浄。専用の機械でミンチ状にし、熟成させます。
熟成された海苔を今度は成型、そして乾燥します。
上の写真は出来上がったばかりの海苔。磯の香りが高く、破れにくく、しっかりとしていて食べごたえがあります。
特技を生かし、地元のサッカースクールでコーチを務める
弓削島には昔からサッカーチームがあり、北舛さんも子供の頃そこでサッカーをしていました。そして、進学したのは島外にあるサッカーの名門校。
北舛さんは、海苔作りの傍で、学生時代にサッカー選手だった経験を生かし、弓削島のサッカースクールのコーチをしています。昔、自身がしてもらったように、今は北舛さんが弓削島の子供達の夢をサポートしているのです。
子供の頃に地域の人にお世話になった経験は、誰もが持っていると思います。
今度は自分が子供達を守る側となること。
島の子供達の笑顔を見ていると、見守ってくれる大人の存在のありがたさに改めて気付かされます。
いかがでしたか。
都会に出た経験は、地元で活かせることがきっとあるでしょう。
外側から見られるようになることで、地元の自然の美しさに気づくこともあります。
その地域によっては、いま居る場所に比べて不便なこともあるかもしれません。
ですが、自分の大切な人のために働ける喜びが、そこにはきっとあるはずです。
瀬戸内Finderフォトライター 大橋麻輝
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瀬戸内Finder 編集部
地元の皆さんからの写真や、在住ライターの記事で発信する、瀬戸内地域の観光情報サイト、「瀬戸内ファインダー」を作る編集部です。 瀬戸内海を囲む兵庫県、岡山県、広島県、山口県、愛媛県、香川県、徳島県の7県に関わる旬な情報を日々更新しています。 お問い合わせは下記まで Email : staff@setouchifinder.com
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